おやじは荒野をめざす【カナダ編】

30年間続けた塾を閉じ、私は北極海をめざす旅に出た。物好きオヤジの旅の記録が教え子たちへの課外授業となってくれることを願って、このブログを綴る。

(26) バンクーバー島北部への旅〈漂流物〉

 オオカミの砂浜では、実はもう一つのトンデモナイモノに出くわしていたんだ。

 

 誰もいない砂浜をあてどなく歩いて、大きな流木のところで一休み。海藻やら貝殻やらがあちこち目につくけどゴミは全然ない。そうだよなあ。アラスカも間近のここまで来て、ゴミが目につくようなら地球もおしまい、、、なんて考えながら、流木の後ろに変なものがあるのに気づいた。プラスチック製の、あれはパレットと言うのかな。工場や市場などで物を運ぶとき、荷物を上に載せ、フォークリフトのアームを下に差し込んで運搬するやつ、あれがあるんだ。気になって近近づいてみると、、、表裏が逆になって少し砂に埋もれて、表面も角も海水に洗われてすり減っているその側面の文字を見て驚いた。はっきりと漢字で「南三陸市場」とあるじゃないか。

 最初、私は、見てはいけないものを目にしてしまったような思いに囚われた。このパレットは、津波に襲われるちょっと前まで、南三陸町の市場で当たり前のようにその役割を果たしていたに違いない。誰かがフォークリフトを操り、このパレットで、恐らくは海から水揚げされたばかりの魚を運んでいたのだろう。フォークリフトの運転手は言うに及ばず、その時、その場にいた人々、ごく普通に声を掛け合いながら仕事をしていた人たち、その人たちの無念の思いが、この、古びて傷だらけのパレットに乗り移っているように感じられた。いかにも"打ち捨てられた"と言う言葉がふさわしいその姿が、人々の叫び声そのもののように感じられたんだ。

 黒潮に乗って運ばれて来たオートバイがバンクーバー島に流れ着き、地元の有志が修理してそれを日本に送り返したなんてことが話題になっていたと思い出したのは旅から戻った後だった。オートバイが流れて来るんだから、パレットが太平洋を渡って来ても、海流の働きを考えれば、それほど突拍子もないことではないのかもしれない。

 とてつもなく大きな地震だった。想像をはるかに超える津波だった。みんなも知っている通り、多くの人々のかけがえのない命が奪われた。この青いパレットは、それが紛れも無い事実であることを改めて突きつけている。そして、それと同時に、人間の力をはるかに超越し、人々を一瞬にして葬り去ったのと同じ自然が、波に揉まれてどんぶらこ、一枚の青いパレットを、故郷を離れて8千キロ、バンクーバー島の人気のない穏やかな浜に運び上げ、パレットは今こうして、ひっそりと砂に埋もれて佇んでいる。

 目の前の大海原のはるか向こうには確かに日本があるんだ。当たり前のことがありがたいような、はかないような、不思議な思いにしばらく囚われていた。

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