(30) アメリカへの旅〈美術館と黒人音楽〉
アメリカは世界で一番の国、ま、色々な意味でだけどね。そして、ニューヨークは、アメリカの良いところと悪いところがごった煮になっている、そんな場所なんじゃないか。この世に生まれ、世界に興味があるのなら、好き嫌いは抜きにして、やっぱりニューヨークには行くべきだって、若い時からずっと思ってた。
ニューヨークの美術館が素晴らしいことは、父親から何度も聞かされていた。「お前もぜひ行きなさい」なんて言われて、お金も時間もない時だったから、話聞くだけだったけど、やっと自分にもニューヨークの美術館を訪れるチャンスが巡ってきた。ほとんど不可能じゃないかって以前は思ってたんだけれど、人生、何があるか分かんないもんだねえ。MET(メトロポリタン美術館)がよかった。美術館てのはこうじゃなくちゃダメでしょとつくづく思った。何しろゴッホ、ゴーギャン、モネ、ロートレックなど、美術の資料集に必ず出てくる大御所たちのこれまた超有名な絵が思う存分、しかも間近で鑑賞できるんだ。日本だと2時間並んで遠くからチラッと見れればいいくらいのが多いんだけど、こちらは惜しげも無く、バンバン、これでもかこれでもかっていうくらいなんだ。写真を撮ってもいいし、触ろうと思えば触れる距離なんだ。触ったら即係員が来てコテンパにされるんだろうけどね。みんな、和やかに、ゆったり気分で絵と向かい合い、心ゆくまで眺めている。これだけの絵を揃えたってのはアメリカの経済力に違いないけれど、この気前の良さ、これもまたアメリカならではなんだろうな。ゴッホの絵は、ゆらゆら揺れて鬼気迫るような息苦しくなるような絵が多いけど、年老いた農夫が畑の傍で孫をあやしている絵があって、まだゆらゆらする前の作品なんだけど、なんかホッとした。
実は前の日にMOMA(近代美術館)にも行ってたんだけど、長旅の疲れが出て、会場のソファーで寝呆けてしまった。もしイビキかいていたら、ちょっとした「東洋の恥さらし」だよね。隣の部屋のモネさんにはマジ申し訳なかった。
ニューヨークと言ったらジャズやロックだぜ。で、黒人ミュージックの殿堂と言われるアポロシアターに行って来た。マンハッタンから地下鉄に乗って、降り立った街はこれまでと違うのがすぐに分かった。お店の人、歩いてる人、ほとんどが黒人なんだ。一瞬身構えたけど、シアターまで10分も歩かないうちに緊張が解けて、気がついたら、CDを並べた露店の黒人おばさんと話してた。「あんた、こういう音楽好きなのかい?」、「好きだから来たんだよ。お薦めはあるの?」。おばさん、あーじゃこーじゃ言いながら5枚選んでくれた。10ドルしなかったと思う。みんな違法ダビングなんだろうけどね。アポロシアターは私以外全員黒人だった、多分。音楽が始まると、みんな熱くなって、リズムに合わせ体を揺らし共に歌う。私の隣にはいかにもという黒人ファッションに身を包んだ長身の黒人青年が彼女と一緒に来てた。脚の長さがまたすごかった。私の二倍あるんちゃうか、、、みたいなね。曲が始まると立ち上がって、全身を動かして音楽と一体化する。長い手が時たまこちらにバーンと飛んでくるから、あれが顔に当たったら痛いじゃすまないぜ。私も生の黒人音楽に聴き入ろうとしたんだけど、なんと言ったらいいんだろう、それは一種の宗教儀式のように感じられるんだ。距離がある。隣の黒人青年と同じにはなれないって、そのことがいつも頭の中にあった。
ちょっと大きめの地下鉄の駅には必ずと言っていいほどストリートミュージシャンがいた。ストリートじゃなくて、サブウェイミュージシャンと言った方がいいかもしれないけどね。キャロルキングの「ナチュラル・ウーマン」をシャウトするオバハンがいたり、巨体を揺すってブルースを歌い上げるジジイがいたりして、もう、最高。感動のあまりCDも買って、帰りの地下鉄で手にした件のCDに目を留めたホームレス(っぽく見えたよ、私には。アメリカのホームレスは地下鉄にも普通に乗るし)が「お前、あのオヤジのCD買ったのか」、はあ。「いいセンスしてんじゃねえか」、あざす。「俺はあのオヤジのダチでさ、だから俺も嬉しいぜ、、、」
ニューヨークはいろいろなもの、人種、文化、言語、料理、宗教、ビジネス、がごった返していた。高くそびえる摩天楼の真下を走る地下鉄の中に、まるで東京の下町の人情みたいのがあるようにね。