(29) アメリカへの旅〈二人のジョン〉
アメリカほど戦争をしている国はないだろう。第二次世界大戦以降の大きなものに限ってみても、朝鮮半島、ベトナム、ペルシャ湾岸、アフガニスタン、イラク、、、アメリカは圧倒的な兵器・兵力を惜しみなく投入するけど、どんなに軍事的優位に立とうとも、戦死者は必ず出る。だから、戦争で命を落とした人たちを、国を挙げて弔う。
ワシントン郊外のアーリントン墓地は、そんな戦死者が眠るところだ。同時多発テロで攻撃されたペンタゴン(米国防総省)は厳重な警備だったけど、アーリントンはあっけないほど簡単に私を迎え入れてくれた。同じ形と大きさの墓がどこまでも整然と並んでいる。墓標の表には名前・生年月日・軍隊の位・没年月日・享年などが記されていたけど、妻と思しき名前が裏面に刻まれているのもあった。全てを見たわけじゃないけど、アメリカの国是である「自由と民主主義」をそのまま形にしたような墓だった。
アーリントン墓地の一角にはジョン・F・ケネディが妻ジャクリーンと共に眠っていた。流石にそこだけは他と別区画だったけれど、ひっそりと慎ましやかに眠っていた。ケネディは、二次大戦以降のアメリカで最も人気があったと言われる大統領で、いよいよこれから大きな仕事をするって世界中が思ってる最中に暗殺されてしまった。あまりにも悲劇的だし、世界中が驚き悲しんだ。そんな彼の有名な言葉に「国があなたのために何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国のために何をなすことができるのかを問うてほしい」ってのがある。「国を頼ってばかりいないで、おい、国のために何ができるか、考えろよ」。すごい言葉だよね。この言葉の出てきた冷戦(冷戦が何だか、中3以上の子は知ってるよね。忘れてたら社会の資料集だな)真っ只中という歴史的な状況、当時の活力と苦悩に満ちたアメリカの息遣いみたいなものが聞こえてくるような気がする。
ニューヨークのマンハッタンのど真ん中にあるセントラルパーク、そこにもう一人のジョンの歌碑がある。何年か前の英語の教科書に「イマジン」ていう曲の歌詞が載ってたの、覚えている人いるかな。「国のない世界を想像してごらん、、、」という言葉から始まるこの曲を書いたのがジョン・レノン。ビートルズっていう、ポップ音楽史上で最高のバンドのリーダーだった人だ。半世紀前、世界中で若者が平和を叫んでバリケードを築き、それまでは本の中に眠っていた「革命」という言葉が飛び交った。「伝統や権威がどれだけ自由を奪ってきたか考えてみろ」、「政府も大学も全部嘘っぱちだからぶっ飛ばせ」、「新しいものを築くためにぶっ壊せ」、、、暴力的で刹那的な若者の声が世の中に響き渡った。アメリカでも、フランスでも、日本でも、若者は暴れまくった。そんな時代に、ジョンは自由を叫び、語るような口調で愛と平和への願いを込めて「イマジン」を歌い上げたんだ。
一人のジョンは大金持ちの息子でアメリカ東部エスタブリッシュメント出身。冷戦、そしてベトナム戦争の時代のアメリカの若きリーダーだった。そしてもう一人のジョンはイギリスの地方都市リバプール出身で、反戦を唱え愛と平和に生きようとした若者のリーダー。幼い頃に母親に捨てられている。体制と反体制、生い立ち、生き方は正反対の二人のジョンが、凶弾によって人生を瞬時に止められたってのは、なんて言ったらいいんだろう、あまりにもアメリカ的、それ以上言いようがないみたいに感じている。