おやじは荒野をめざす【カナダ編】

30年間続けた塾を閉じ、私は北極海をめざす旅に出た。物好きオヤジの旅の記録が教え子たちへの課外授業となってくれることを願って、このブログを綴る。

(21) ロール・オーバー 「日本の英語教育」!

 今回はちょっと真面目に「日本の英語教育」について。今まで受験英語をウン十年教えてきた者として、ひとこと言いたい、あるいは言うべきだと思ってる。ただし、私が日本の英語教育を批判的に述べたからといって、ダレカサンが英語の勉強をサボっていいという理由には全然ならないということ、それ、忘れないどいて。

 

 私が教えてきたのは文法中心のいわゆる「受験英語」で、高校に合格するために必要だから教えてきた。志望校のレベルに従って、この単語は覚えなくちゃいけないか、この文法事項は理解しとくべきか、長年やっていたから分かる。だけどカナダに来て、受験に縛られた日本の英語教育がいかに時代から取り残されたものか痛感した。韓国や中国に対しても遅れをとっていると思う。流石に「日本もこれじゃイカン」と思ったのか、ここ十年くらいで受験英語も学校で教える英語も少し変わってきたけれど、ぜ〜んぜん生ぬるい。遅い。今のままだと日本は国際社会で置いてきぼりになる。日本の将来のために、痛みの伴う改革を少しでも早く実現しなくちゃいけないとつくづく思う。基本理念は「実際に使える英語を身につけさせるための英語教育の実現」ということだ。

●「これが正しくこれは間違い」という「テスト問題のための英語」から「こういうのもあり、、、」という指導に転換する。受験では何が◯で何が✖️かをはっきりさせなくちゃいけない。それがダメ。現実の英語とずれてくる。

●「正しい発音」から「通じればOKの発音」に転換する。発音についての考え方を変えるのも重要。「アメリカ人やイギリス人の発音が正しくかつ美しい」という考えが日本人の白人コンプレックスの大元にあると思うし、そんなこと言ってるから話せなくなる。中国や韓国の人たちは「発音なんか気にしてたら、言いたいことも言えなくなるよ」みたいに考えてる。国々で発音は少しずつ違っていい、それで伝わればね。英語と米語の2つに分かれても大して問題なくやっている英語は元々柔軟性のある言葉だったのに、日本の受験英語はそれを文法でがんじがらめにした。ちなみに oftenオーフン(「しばしば」の意) はカナダでは「オフテン」て言ってる。先生に質問したら、「うーん、どっちでもいいじゃない」って感じだった。

●「聞く・話す」を「読む・書く」よりも先行かつ優先する。高校・大学の入試でも「聞く・話す」の比重を50%にする。受験が変わらないと英語教育は変わらないからね。中学で30%、高校で50%語彙を増やす。

●英語の先生の採用基準を「聞く・話す」優先型にする。現在の英語の先生を、「聞く・話す」英語ができるかどうかで選び直すくらいの荒治療が必要かも知れない。広く海外から人材を集めるのも大事。本格的な「読む・書く」の勉強は次の段階でやれば十分間に合う。

 

 こちらの日本人の何人かに聞いてみたけど、異口同音に「日本の英語教育はひどい」って言うよ。海外に出てそれを実感し、間違った英語教育の自分たちが犠牲者だったって初めて気付くんだと思う。資源がない日本を支えているのは「人」だし「人」を作るのが「教育」だ。その肝心の教育の中の英語教育だけが度し難いほど遅れてしまっているし、実害はこれから表に出てくるだろう。私は日本が大好きだよ。だから声を大にして「日本の英語教育、このままじゃダメ。一刻も早く変われー!」っていう話でした。

f:id:ilovewell0913:20190520120158j:plain
f:id:ilovewell0913:20190520121036j:plain
f:id:ilovewell0913:20190520120714j:plain
f:id:ilovewell0913:20190520121455j:plain
f:id:ilovewell0913:20190520120638j:plain
バーニーの授業は「明るく・のびのび・ザックバラン」そのものだったよ。リスニングの点数が上がったらユーコン(カナダのアラスカみたいなとこだな)の本くれたり、カリキュラムは一応壁に貼ってあるだけで、授業中いくらでもおしゃべりできる。バーニー、マラソン大会に参加して完走記念のメダル下げてご満悦。大会翌日に欠勤するとこがいかにもカナダ流だな。たまにホワイトボードに意味深いこと書くけどほとんど説明しない。興味のある人、分かる人に分かってもらえればいいってスタンス。そこがまたいいね。

  最後に、今回のタイトルについて。今からウン十年前、ビートルズがロックンロールの名曲「Roll Over Beethoven=ベートーベンをぶっ飛ばせ※」ってのを歌った。謙虚さのかけらもない曲名は当時の若者のエネルギーの強さそのものだ。今の若者にこういう無鉄砲さがないのはちょっと残念だぜ。

※roll overは本来は「転がす、ゆり起こす」などの意で「ぶっ飛ばす」ってのは訳詞者が考え出した一種の意訳。