おやじは荒野をめざす【カナダ編】

30年間続けた塾を閉じ、私は北極海をめざす旅に出た。物好きオヤジの旅の記録が教え子たちへの課外授業となってくれることを願って、このブログを綴る。

(8) 英語で話すということ〈その1〉

 ビクトリアに来てちょうど1ヶ月くらい経った時のことだ。時差ボケはとっくに治ったし、気がかりだった食べ物にも意外と順応してる。こっちの食べ物は脂っこいからどうかなあと心配だったんだけど、胃腸の方が諦めて、食べ物に合わせてくれているのかも。ウォシュレット無いのも大丈夫(そういやトライもウォシュレットなかったな)。ホームステイでは、下宿屋のおじさん・おばさんに世話になってる学生みたいな立場だから、ちょっと面倒なところはある。キッチンやバスルームの使い方とかゴミの分別、どことどこは飲食禁止とかね。カナダ人は大らかかつ大雑把で細かいこと気にしないというか、全然気づかないみたいなところがある。でも、1人だけ例外がいて、それがホストファザーのエドなんだな。だから、細けー、面倒っちーって思うことはあるけど、ほら、そこは "大人の対応" だよね。そもそも安い値段で住まわしてもらってるんだし、その家に入ったら、その家のルールに従わなくちゃいけないのは万国共通。まさに  When in Roma, do as the Romans do. (郷に入らば郷に従え)ってことです。でも、どうにもならないのが、英語のやりとりがうまくいかない時の苦痛とストレスなんだ。「自分の英語が下手っぴいなのがいけないんだと自覚している→だからこそ上手くなるために頑張っている→でも、そう簡単に上達するもんでもない→だから現実の生活の中で、自分がうまくしゃべれないことが悔しく腹立たしい、うざい」という負の連鎖、ジレンマだね。こちらが言うことは7、8割は理解してもらえてると思う。でも、それを聞いて相手のネイティブが、「こいつはまあまあしゃべれるな」と思って、そう思ってくれること自体は嬉しいんだけれど、向こうのペースでベラベラってやられると、本当にしんどい。1回や2回なら Pardon?(すいません、もう一回言ってください)って聞き返せばいいけど、向こうがしゃべる度にPardon? て言ってたら、「1日は Pardon? に始まり Pardon? に終わる」になっちまうよ。だから、相手に対する気遣い半分見栄半分で Yeah. とか Oh, I see. とか、分かったようなことを言ってしまう。相手はそれに気を良くして会話がさらにスピードアップでもしようものなら、、、自分のリスニング能力のアップのためには Pardon? をめげずに連発した方がいいんだろうけどね。エドはインテリなので、話していると難しい内容になることもある。ある時、イスラムの歴史の話をしていて「ムスリムイスラム教徒のことだよ)にはホモが多くてな、、、」なんて言ってニヤッて笑うんだ。歴史の話はあまり聞いてなかったけど、ここんところだけは耳に入ってきて、マジかよ、あの髭面の、、とちょっと質問したら、それから延々1時間。「訳の分からない話を1時間、時折分かった風に頷いたりしながら聞き続ける」という苦痛。やっぱ、難しい内容は避けて、楽しい話、若者ならファッション・スポーツ・ゲーム、それとあっち関係の話とかね。そういうのは人種・宗教が違っても、みんな興味あるから、話が尽きないし、英語のいいトレーニングになる。前にも書いたけど、「ネイティブと恋に落ちるのが一番の英語の勉強」ってのは、そう言った意味で言えてると思うよ。おっと、私はその方法、試したことないけれどね。

 

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人は人と仲良くしなくちゃいけません。人から学ぶものは無限だからね。下手くそ英語でも気にしないでどんどん話してみる。英語は上達するし、友達たくさんできるはずだから。

▶︎(9) 英語で話すということ〈その2〉に続く