おやじは荒野をめざす【カナダ編】

30年間続けた塾を閉じ、私は北極海をめざす旅に出た。物好きオヤジの旅の記録が教え子たちへの課外授業となってくれることを願って、このブログを綴る。

(6) なぜ英語を学び直そうと思ったのか

 実はね、英語には忘れられないことが二つあるんだ。

 今から半世紀前。中学1年の、英語を習い始めて数ヶ月が経った頃だった。最初は辞書のhとnを見間違えたりしたけど、イギリス帰りのお洒落なM先生のおかげで英語がだんだん好きになった。んじゃちょいと英語でガイジンと話してみるかって、放課後、友達誘って制服のまんまで、自転車で1時間の調布の米軍キャンプに行ってみた。米軍キャンプのフェンス内では、アメリカ人の子供たちがバスケットボールをやっている。ジーパンに柄のあるシャツ、多分マドラス柄だったと思うけど、それをズボンにたくし込まずに shirt-out に決めてる。しかもやっているのがバスケ。当時の日本の子供にとって、人気のスポーツと言えば野球か相撲っていう時代にだよ。どういう風に声を掛ければいいんだろう。Hi とか Hey かなぁ。喉元まで上がってきている最初の英語の一言が出そうで出ないんだ。その代わり、一般の日本人がアメリカ人に話しかけていいのかとか、シカトされたらどうしようとか、どうでもいいようなことが頭に浮かぶ。もう一度声を出そうとする。でも、出ない。いや待て、ここまで来て何を迷ってるんだ。ちょいと声を掛けるだけのことじゃないか。大げさに考える必要なんてない、そんなの、分かってるんだけど。「よし!」っと深呼吸してみる。でも、出ない、出ない。友達が怪訝な顔でこっちを見てる。やっぱ、出ない、出ない。どーしても、出ない。要はビビってるんだろ、、、気持ちが折れるって、こういうことなんだね。結局、何もできなかった。何もしゃべれなかった。黙って自転車漕いですごすごと帰宅した。それにしても、あの米軍キャンプのフェンスは高かったな。今でもはっきり覚えてるよ。

 もう一つはトライ時代だ。教え子がドイツからの友達を何人か連れて来たので、私は塾の方針や指導内容、なぜ日本には"塾"というものがあるかなどを、怪しい発音ながら中学レベルの単語で説明した。ペラペラとはいかなかったけれど、なんとかかんとか説明した。でも、質問受ける番になると、私の英語の弱点がバレまくった。上手く聞き取れない。ドイツ語訛りのせいも少しはあったかもしれないけれどね。トライの子供たちは皆 "?" の表情でこちらのやりとりを眺めているじゃないか。授業で「英語は役に立つ勉強だよ。日本語では友達は1億人くらいしかできないけど、英語だと30億人くらいできるんだよ」なんて言ってたくせに、これってちょーカッコ悪いとしか言いようない。クヤシーとしか言いようがない。

 母親が元気だった時、よくこんなことを言っていた。「昔はお金がなかったから、お前を留学に出すことができなかった。でも、これからでも、もし外に出るチャンスがあったら、是非そうするといい。外の世界から、この慎ましくも狭々しい日本、自信を失った日本を見つめ直して来い、、、」。そして母親があの世へ去った後には、私が留学するのに丁度いい額だけのお金が残されていたんだ。中学1年で出会い、働くようになってからも何かと縁のあった英語。長年の付き合いのお陰で少しは話せるようになったけど、それ以上にはならない中途半端な英語に決着をつけたいと思った。だから私は今、若い子たちに交じって、懸命に英語と格闘してるってわけさ。 

f:id:ilovewell0913:20190326231610j:plain
f:id:ilovewell0913:20190326231258j:plain
f:id:ilovewell0913:20190326231729j:plain
f:id:ilovewell0913:20190326231706j:plain
Writingは得意。知っている単語で書けばいいからね。Readingは予習が必要だ。「単語力がない+物覚えが悪い+物忘れが激しい」から、若い人たちの倍は勉強しなくちゃいけない。こんなに真面目にやったのは、中学生以来だ。最後の写真はSSLC(基礎英語)の修了証。