おやじは荒野をめざす【カナダ編】

30年間続けた塾を閉じ、私は北極海をめざす旅に出た。物好きオヤジの旅の記録が教え子たちへの課外授業となってくれることを願って、このブログを綴る。

(7) カナダ人は日本のこと、どう思っているのかな

 ビクトリアの郊外に、観光客がよく訪れるブッチャートガーデンというところがある。ダウンタウンからバスで一時間。東京で言うと、向ヶ丘遊園みたいなところかな、ウン倍も広いけれどね。ローズガーデンとか人工的なポンドや噴水とかもあって、工夫が施されてそれなりに綺麗なんだけど、実は人の作った擬似自然みたいなものに私はほとんど興味がない。カナダ人ががどういう美意識を持っているのか、ま、センスみたいなものだね。さらに言うと、日本と欧米との文化の違いみたいな、そんなことが少しでも理解できれば面白いと思って高い入園料を払ったんだ。

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欧米人の日本文化トンチンカン理解の逆バージョンが日本にもありそうだな、渋谷のハロウィーンとかね。

 素直な気持ちであるがままのガーデンを受け止めようとしたけど、やはりつまらないものはつまらなかった。日本庭園というのもあって、それがまたひどかった。お金をかけて、何とか日本風 Japanese Taste を演出しようとしているんだけど、逆にそれが気に触る。なーんだ、全然分かっちゃいないな。そもそも、日本的なるものを外国に移植するってのに本質的な無理があるんじゃないか。特に庭園なんかはね。現在の日本は、文化だけでなく工業製品なんかも海外でメチャ売れの大人気だ。だけど、トンチンカンの見本のようなこの日本庭園を見ていると、日本文化が欧米人にどのように見えているのか怪しいものだと思い始めた。尾形光琳とか北斎なんか(おっと、、、知らない人は美術の資料集調べて見て、必ず載ってるから)は海外で高い評価を受けているようだけれど、例えば日本の絵画にある「間」、空白の美みたいなものを彼らは理解しているんだろうか。日本としても、日本製品 Japan Product の売込みばかりでなく、日本文化を理解してもらうようにもっと努力と工夫をすべきだな。「それにしても、日本の外務省はこれまで一体何をやってきたんだろう。ボーッと生きてんじゃねーよ!」みたいな気持ちになってきた。

 日本はアジアの国々の中で、独特の道を歩んできた国だと思う。歴史の授業で習ったように、大昔から大陸文化の影響を受けつつ独自の文化を築き、明治維新以降の150年でも、欧米の法や政治の制度・工業技術・文化を取り入れ、様々な分野で本家を凌ぐレベルにまでそれを発展させてきたんだ。「外から取り入れること」と「それを独自に発展させること」において、日本ほど優秀かつ巧みな国は世界的に見てほとんどないんじゃないかと思う。現代の日本文化だって大人気だよ。こちらには中華料理はもちろん、インド、トルコ、韓国、ベトナム、タイ、ギリシャなど、様々な国の料理を食べさせるレストランがある。その中で、日本レストランはちょっと別格の扱いと評価を得ているようなんだ。日本食は美味しい delicious だけじゃなくて健康によく healthy 、さらに二つのエコ ecological(環境に優しい)と economical(経済的)を併せ持つものとして、今、新たなブームになってきている。クルマ、電化製品、アニメ、洋服、文房具、ウォシュレット、、、日本製品 Japan Product は大人気だし、圧倒的な信頼を勝ち得ている。カナダで「日本から来ました」と言うと、「トヨタは素晴らしいね」、「パナソニック製品は最高さ」、「ユニクロヒートテック無しじゃカナダの冬は越せないよ」とか返ってきて、少し羨望 envy を含んだ目で見られるんだ。欧米人が日本に対して「東洋の神秘 mysyerious 」とか「東洋の奇蹟 miracle 」なんて言うのをよく耳にするけど、そこには「優秀で素晴らしいんだけど、ちょっと理解できないとこもあって、何だか不思議 fantastic 」みたいな思いが含まれているのかな。そんな思いを抱きながら、トンチンカン庭園を後にした。

 

(6) なぜ英語を学び直そうと思ったのか

 実はね、英語には忘れられないことが二つあるんだ。

 今から半世紀前。中学1年の、英語を習い始めて数ヶ月が経った頃だった。最初は辞書のhとnを見間違えたりしたけど、イギリス帰りのお洒落なM先生のおかげで英語がだんだん好きになった。んじゃちょいと英語でガイジンと話してみるかって、放課後、友達誘って制服のまんまで、自転車で1時間の調布の米軍キャンプに行ってみた。米軍キャンプのフェンス内では、アメリカ人の子供たちがバスケットボールをやっている。ジーパンに柄のあるシャツ、多分マドラス柄だったと思うけど、それをズボンにたくし込まずに shirt-out に決めてる。しかもやっているのがバスケ。当時の日本の子供にとって、人気のスポーツと言えば野球か相撲っていう時代にだよ。どういう風に声を掛ければいいんだろう。Hi とか Hey かなぁ。喉元まで上がってきている最初の英語の一言が出そうで出ないんだ。その代わり、一般の日本人がアメリカ人に話しかけていいのかとか、シカトされたらどうしようとか、どうでもいいようなことが頭に浮かぶ。もう一度声を出そうとする。でも、出ない。いや待て、ここまで来て何を迷ってるんだ。ちょいと声を掛けるだけのことじゃないか。大げさに考える必要なんてない、そんなの、分かってるんだけど。「よし!」っと深呼吸してみる。でも、出ない、出ない。友達が怪訝な顔でこっちを見てる。やっぱ、出ない、出ない。どーしても、出ない。要はビビってるんだろ、、、気持ちが折れるって、こういうことなんだね。結局、何もできなかった。何もしゃべれなかった。黙って自転車漕いですごすごと帰宅した。それにしても、あの米軍キャンプのフェンスは高かったな。今でもはっきり覚えてるよ。

 もう一つはトライ時代だ。教え子がドイツからの友達を何人か連れて来たので、私は塾の方針や指導内容、なぜ日本には"塾"というものがあるかなどを、怪しい発音ながら中学レベルの単語で説明した。ペラペラとはいかなかったけれど、なんとかかんとか説明した。でも、質問受ける番になると、私の英語の弱点がバレまくった。上手く聞き取れない。ドイツ語訛りのせいも少しはあったかもしれないけれどね。トライの子供たちは皆 "?" の表情でこちらのやりとりを眺めているじゃないか。授業で「英語は役に立つ勉強だよ。日本語では友達は1億人くらいしかできないけど、英語だと30億人くらいできるんだよ」なんて言ってたくせに、これってちょーカッコ悪いとしか言いようない。クヤシーとしか言いようがない。

 母親が元気だった時、よくこんなことを言っていた。「昔はお金がなかったから、お前を留学に出すことができなかった。でも、これからでも、もし外に出るチャンスがあったら、是非そうするといい。外の世界から、この慎ましくも狭々しい日本、自信を失った日本を見つめ直して来い、、、」。そして母親があの世へ去った後には、私が留学するのに丁度いい額だけのお金が残されていたんだ。中学1年で出会い、働くようになってからも何かと縁のあった英語。長年の付き合いのお陰で少しは話せるようになったけど、それ以上にはならない中途半端な英語に決着をつけたいと思った。だから私は今、若い子たちに交じって、懸命に英語と格闘してるってわけさ。 

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Writingは得意。知っている単語で書けばいいからね。Readingは予習が必要だ。「単語力がない+物覚えが悪い+物忘れが激しい」から、若い人たちの倍は勉強しなくちゃいけない。こんなに真面目にやったのは、中学生以来だ。最後の写真はSSLC(基礎英語)の修了証。

 

 



(5) 初めての授業〈その2〉

 でもね、不思議なもんで、ホワイトボードを背にして皆の前に立つと、トライで授業やってた時の感じが戻ってきて、さっきの焦りはどこかへ消え去ってたんだ。

My name is Kiyoshi Inoue and came here from Japan just only a few days ago.  I'm now sixty-six, the oldest in this school, maybe.  My purpose of visiting here is, , , 

かなりいい加減な発音だし中学レベルの単語ばかりなんだけど、言葉がうまく続いて出てくるんだ。私が教えてきたのは高校入試用の受験英語だけど、それはそれで十分役に立つということだな。

 次の Writing のクラスでは、皆が自分の好きなものについて述べ、最後に新入生の私が自己紹介するという形だった。ゲームが好きとか、日本のアニメ最高、音楽=命みたいに、それぞれが順繰りに発言する。さっきのクラスでは自分の趣味についてカメラ、トレッキング、フライフィッシングとか、ホワイトボードで図解までして説明した。同じメンバーもいたので、繰り返しじゃつまらないし、さてどうしたものか、、、と考えていたら、すぐに自分の番になってしまったんだ。で、

My favorite thing is, , , well, , well, well, , , oh! my favorite is young pretty girl!

が咄嗟に口をついて出た。一呼吸置いて大受け。正しくは a を付けるなり girls とすべきだったんだけれど、自分でも言いながら可笑しくなって笑いを抑えられなくなった。そりゃそうだよ。みんなが真面目に発言してるのに、日本からの変なおっさんが一人だけ妙なこと突然言ったんだからね。

 こうして、世界各国から集まった若者に交じって、私の英語の再挑戦が始まった。歳は気にすまい。若い奴らに負けても構やしない。何のアドバンテージも無しに、さあ、気合いで頑張るぞ。私の、実に40年ぶりの、生徒としての勉強はこうしてスタートした。

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次の日にいきなりテスト。いくら苦手のListeningとはいえトホホの点数。ブラジルやメキシコの子たちは、普通に半分くらい正答する。負けすぎだね、これは!

 

みなさーーーーーーーーーん‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️

次回からブログの更新を〔日本時間の〕火曜日と金曜日にすることにします。

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 んので、よろしく!

 

(4) 初めての授業〈その1〉

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後列のコリン先生にはどれほど支えられ励まされたことか、、、

 ビクトリアに着いて次の日、とりあえず街の様子でも見てみようとホテルを出た。時差ボケで体がだるい。当たり前のことだが、モロ外国って感じで、右も左も分からない。行き当たりばったりで2時間歩き回り、どこかで見たような看板の前に出た。えっ!これってもしかすると見学予約を申し込んでいた?  そう、これが、これから半年間通うことになるSprott Shaw Language Collegeとの出会いだった。うーん、何だか「縁」を感じるなあ、、、

 オリエンテーションもそこそこに早速授業が始まった。1時間目はpronunciation、発音の授業だ。生徒は20人くらいでガヤガヤ騒がしい。席は好きなところへ勝手に座る。目の前のピンク髪の女の子は、先生が話し始めてもジュースを飲んだりスナック菓子をポリポリしたり。私にも勧めてくるが、とりあえずNo thank you.と返した。こちらでは授業中の飲食は自由と聞いていたけど、こういうことなんだな。ピンク髪は相変わらず口をもぐもぐさせていて、一方、私は先生に対する礼儀とかけじめとかいうことが頭をよぎったけれど、この「隔たり」がこそが文化、習慣の違いなんだ。カルチャーショックというと大げさ過ぎるけれど、やっぱり異文化体験は面白い。どっちが正しいとかいうことではなく、「違う」ということ自体がとても興味深いのだよ。

 クラスに日本人はいないようだ。一見日本人と見えたのは韓国、台湾からの子たちだった。他にメキシコ、ブラジル、サウジアラビアなど。年齢は20歳前後くらいかな。少なくとも30を越してそうな人はいない。賢そうなのもいれば、おしゃべりばかりで遊び半分みたいのもいる。皆、一様に明るく元気だが、外見、言葉、そして勉強に対する姿勢はバラバラで、この多様性がまた面白い。教室は English only。オールドミスっぽいおっかなそうな女の先生が、母国語のスペイン語でおしゃべりを続けているメキシカンを English, please! と一喝し教室がシーンとなる。先生がペラペラ授業の説明を始めた。中級クラスのはずなのに、容赦ない速さだ。何を言ってるんだろう、、、と思う間もなくニカッと笑って私に向かってお出でお出でしてる。流れと状況から考えて、どうやら私に自己紹介しろと言っているようだ。マジっすか、、、数日前に着いたばかりなのに、幾ら何でも、といくら尻込みしたところで、教室全体が「自己紹介すんの当たり前」の雰囲気だ。観念して、私は教壇に進み出た。

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左:兵役を終え公認会計士をしている韓国のエリート。優秀かつ謙虚。私より英文法知っている。グヤジー! 右:ブラジル三人娘。ピンク髪は先生の話全然聞かずにアニメばっか描いてるのにできる。

▶︎(5) 初めての授業〈その2〉に続く

(3) ハロー、エド&キャリアナ!

 最初の1週間はちょっとリッチなホテル住まいだったけれど、今日からは一般ピープルに戻らなくちゃいけない。なるべく余計なお金を使わないで、若い人たちと「同じ」とまでは言わなくとも「近い」条件で生活する、それが日本を出る前に私が決めたポリシーなんだ。だから、今日はホームステイ先に移動する。ホームステイはカナダ人と一緒に生活するんだから、彼らの日常が見えるし、食べ物、好み、考え方なども分かるだろう。毎日一緒だからしゃべる機会も自然と増える。つまり、楽チンかつ快適なホテルよりうんと勉強になるという訳だ。そもそも、私の目的は観光じゃない。英語の勉強は勿論だけどそれだけじゃなくて、外国の色々なものを見たり感じたりすること、つまり「異文化体験」、これが大事なんだな。私がしているのは「旅行」ではなく「旅」ってこと。分かりますか?

 100カナダドル(8,500円)で買った中古MTB(まるで鉄の塊!)を2時間こいで、やっとこさホームステイ先の家にたどり着き玄関ベルを鳴らした。頑固そうな親父とか口うるさいおばはんが出て来たらどうしよう。暑いし、ヘトヘトだし、ホテルは今夜までしかいられないし、どうしよう、どうしよう、、、10分したらこの家の主人エド・スコバーンさんと奥さんのキャリアナさんが出てきた。第一印象は「でかい!」。失礼ながら2人合わせて体重250キロくらいではないか。「ヨロシク」のハグをしたが、背中に腕が回らない。いや、そんなことはどうでもいい。それよりも、二人とも「典型的なカナダの白人」という感じで、異文化の香りがプンプンするし、そして何より(これが一番重要なのは言うまでもないが)、二人がとても親切そうなのでホッとした。これから半年、エドとキャリアナ、そして二人を取り巻く様々な人たちも交えた、ディープな生活が始まろうとしていた。

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インテリで何事にも正確なエドと世話好きなキャリアのおかげで快適な毎日が送れた。
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家も庭も広々してて窓からの景色もいい。キャリアナのベッドメーキン最高で、我が家のベッドよりも寝心地がよろしい。



(17) ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」

 

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アメリカにも自分みたいのがいるんだ、、、と感じた青春の一冊。

 

 今の若者は本を読まないみたいだね。分かっちゃいねえな、、、と思うよ。

 

 アメリカの近現代文学ジャック・ケルアックという人が書いた「オン・ザ・ロード」という小説があって、邦題は「路上」。青春の迷いの真っ只中にあった私は、繊細で不安定かつ反抗心に満ちたこの小説にググッときた。今から50年近く前の話だけどね。学校の先生が急に嘘っぽく感じられたり、親の言うことに無性にムカついたり、そんなこと、君にもあるだろう? ムカついてゲームしてムカついたの忘れて、でもまたイラついてゲームして少しスッキリして、、、それでも構やしないけれど、自分と同じ事を感じてる奴が地球のどこかにいたら、そいつと話してみたいと思わないかい? 本の中では、君と同じ気持ちの子に出会ったり、色々教えてくれる先輩がいたり、こいつとなら駆け落ちしたっていいって思う異性にめぐり会ったりするんだよ。

 英語の基礎コースESLの授業で、担当の先生とひょんなことから文学についての話が始まり、私は思わずこの「オン・ザ・ロード」について語ってしまったんだ。「若い時は始終旅をしていたんだ。日本国中、ヒッチハイクでね。だから、この小説は、心理についてであろうと風景であろうと、やたら自分の感性にビビッときたんだ。最初の1ページ目から、何でも理解し合える昔からの友達と話してるような気分だったよ。言葉も食べ物も文化も全然違うのに、同じ気持ちを分かち合えるっての、面白いよね。ところで、ケルアックはカナダでは読まれているの? 人気あるのかなぁ? もう、亡くなってしまったんだろうね、、、」。好きなこと、興味のあることについて語る時、人は饒舌になる。まだ十分には使いこなせていない英語をしゃべる時だって同じさ。話したい気持ちが先走って、必死に振り絞った英語が後からついてくる感じ。例の壁なんかとっくに消えてる。先生が「ケルアックはだいぶ前に亡くなっているよ。ケルアックを読むと、なんて言うかな、旅に出たくなるよね。僕はバショーという人のオクノホソミチを読みたいんだけど、手頃な英訳本がないんだよ、、、」と答え、私は「そうか、確かにどちらも旅から生まれたってのは一緒だよね。でもオクノホソミチは俳句という日本独自の詩の形式が中心だから、英訳はちょっと無理かも知れないなあ。『ナツクサヤ、、、』って言われたって、ビクトリアの爽やかな気候じゃなくって、日本のうだるような暑さの夏、それじゃないと雰囲気伝わんないかもなあ。でも、日本は紀行文学というジャンルが結構盛んで、例えば『土佐日記』なんか読みやすいかもしれないよ、英訳本があればだけどね。作者はえーと、えーと、、、」と返した。

 日本とカナダ。遠く離れた異なる文化の中で育った者たちが同じものに出会い、共通のものを感じ、はたまた異なる感慨を抱く。この「共通」と「相違」の渾然一体=ミクスチャーが異文化体験の一つの醍醐味なんだな。

 

(2) トライからカナダへ、長くもあり短くもある旅路

 旅の準備が本格化したのは、梅雨真っ只中の6月後半になってからだった。トライ閉じるのが予想以上に手間取ったけど、何となくぐずぐずしている感じもあった。大きな楽しみの前にそれと真逆の「虚しさ」みたいの感じたことないかなぁ。そんな感じだったのかもしれない。普段の生活を抜け出すという不安が少しは関係しているんだろうけど、それだけじゃないし、不安そのものでもないんだ。これ分かる人、大変感受性豊かです!

 出発当日は朝から夏の日差しが照りつけてた。あのクソ暑い日本の夏がすぐそこまで来ているに違いない。家族に見送られて出発ゲートをくぐると、あとはオートマティカリ automatically に物事が進み、しんみりしている暇なんかない。例の虚しさなんて、とっくにどこかに消し飛んでいたよ。でも、何となく不思議な感じがする。現実感がないというか、自分のやってることをもう一人の自分が淡々と見ているみたいなね。

 眠たい目で窓の外を見たら、カナダのバンクーバーってところに到着したのが分かった。長いけれど短くもある10時間のフライト。自分はただ座っていただけなのに、ヒコーキは律儀に私の体を、太平洋を越えてカナダまで運んでくれた。当たり前のことがどことなくぼやけて感じられる。羽田を出たのが夕方6時でこちらに着いたのが同じ日の昼前ってのも頭を混乱させるしね。眠たい目をこすってバスとフェリーを乗り継ぎ、初夏の日が照りつけるバンクーバー島・ビクトリアに無事到着した。なーんだ、こっちも結構暑いな。

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ビクトリアは歴史を感じさせる自然豊かな町。「子育て」と「老後」にはうってつけ。